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Index
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第16話 私の愛した音楽達 打ち切り編 |
第15話 私の愛した音楽達 その2 それはさておき。僕が大好きなドリフソングは上記の2曲とは別にあって、それは「ゴー・ウエスト」だ。 随分大きくなってから(大学も出てから)、無性にこの曲が聴きたくなりドリフのベスト盤を購入した。ゴー・ウエストはやっぱり最高だったが、それ以外の曲がまた素晴らしい。ファンキーかつプログレッシブ。 |
第14話 私の愛した音楽達 その1 |
第13話 ハワイアン韓国へ行く その8
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第12話 ハワイアン韓国へ行く その7
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第11話 ハワイアン韓国へ行く その6 |
| 第10話 ハワイアン韓国へ行く その5 韓国卒業珍道中もはや中日。今日は1日釜山に滞在する予定だが、これと言って予定がある訳ではない。コンビニのカップラーメン(基本的にどれも辛い)で朝食を済ませ、町に出る。 釜山もソウル並の都会だが、やはり20年前の日本といった風情。店を覗いたりホームレスを観察したりしつつ、海岸に出る。海岸線に沿った通りはちょっとした市場といった風情で、海産物を並べた露天が所狭しと並んでいる。ここらでおいしい魚料理でも・・・と、1件の薄汚い食堂に入る。 ここで食べたのは海鮮ビビンバ。酢飯の上に白身魚や貝類の刺身とサニーレタス、コチュジャン。「ビビンバ」というのは「混ぜごはん」、もっと言えば「混ぜて食べるごはん」という意味なので、別に具がナムルやユッケじゃなくてもビビンバと呼ばれるのである。すこぶる美味。 海岸を離れ、ふたたび街中へ戻り古びたレコード屋へ。ソウルのお洒落な店と違い、アメ横にある演歌専門店のような雰囲気なのでここならポンチャックがありそうだ。 店番が若いアガシ2名で若干不安になるが、やはりポンチャックコーナーがしっかり店の一角を占めている。あまりにも数が多すぎて迷うが、考えても内容は分からないのでジャケットの挿絵が非常に楽しげな1本を選び、K塚に「カラオケ」と書いてない事を確認してからレジへ。鼻を広げてアガシにテープを渡すと、「オーポンチャック!!」と大笑いしている。なんてこった。「若者は聴かない」どころか嘲笑の対象じゃねぇかよ・・・ジャケでナウなヤングがフィーバーしてるじゃねぇか!!・・・まぁ別にいいよ。笑いたければ笑えよ笑われるのは慣れてるぜ!と代金をカウンターに叩きつけ店を出た。 歩き疲れたので宿へ戻る事にするが、道すがらエロ本が山積みになった魅力的な露天を見つける。韓国エロ事情を知っておくのも大事なことであろう、とそれぞれ物色をはじめる。もっとも全ての商品にビニールのカバーがかかってしまっているので表紙・裏表紙から精一杯想像力を働かせ、各々がこれぞ!という1冊を選び出し購入する。 宿に戻り、早速エロ本のビニールを破る。あれだけ渇望していたポンチャックがやっと手に入ったというのにこのザマである。何事も所詮エロにはかなわない。期待に胸躍らせながらページを開く。 ・・・ なんじゃこりゃあっっっ!!日本のエロ本のコピーじゃねぇかぁぁぁ!!! エロ本と言っても中学生の頃に愛読していたようなアイドル系グラビア雑誌である。水着ばっかりでビーチクすら写ってない。 がっくり。 まぁそれでも僕とK塚は後でちゃんと活用した訳だが(詳細略)。 気を取り直してポンチャックを聴く。おぉ今度こそ歌入りだ。しかもハイトーン。まぁ考えてみれば日本の演歌もハイトーンだけどね。・・・それにしても暑苦しい。脂っこい。これこそ俺の求めていた音だぜ・・・とようやく満足。 すっかり日も暮れ、腹も減ってきた。ガイドブックにやると宿のそばに韓定食の店があるようなのでそこに行く事にする。韓定食というのは家庭料理フルコースみたいなものである。 宿を出て歩き回るが、ガイドブックの店は見つからない。代わりに「韓定食]と看板の出た店があったので、ここでいいや・・・と暖簾をくぐった。 この時点ではこの夜が今回のハイライトになる事など誰も予想していなかった。 余談:久しぶりにポンチャックを聴いてみた。これはプログレだね。プログレッシブ演歌。 |
| 第9話 ハワイアン韓国へ行く その4 ロックンローラーにしては早起きをして、布団の中から手を振るアジュマを背に宿を出る。 釜山に行くには電車かバスだが、バスが圧倒的に安い。距離は確か500キロくらいあるのだが、料金は1万ウォン程度。日本で例えると東京から京都まで1,200円で行けるという事だ。所要時間は5時間程度らしい。 安い、速いは分かっているのだが、乗り場がよく分からない。町外れのトンネという場所にバスターミナルがあるようなのだが、地図を頼りに歩いてもさっぱり分からない。仕方なくタクシーを拾う。韓国には一般と模範、2種類のタクシーがあり、緑の表示灯が目印の一般は安く台数も多いが運転は乱暴で日本語なんて勿論通じない、ボッタクリの危険も大。黄色い表示灯の模範タクシーは若干高いがクルマは高級車で運ちゃんも折り紙付きの紳士揃いで日本語もオッケー・・・らしい。 ヘタレな我々は迷わず模範タクシーに乗り込み、無事高速バスターミナルたどり着く事が出来た。運ちゃんは確かに日本語堪能な紳士で安心だったが、この辺で乱暴な運転&ボッタクリに触れておくのも楽しかったかも・・・などと思ったりも。 バスターミナルはちょっとした鉄道駅といった雰囲気で、行き先別の時刻表(次が何時発で・・・みたいに表示が変わる奴)と乗車券売り場が並んでいる。英語表記もあり、特に迷う事も無く釜山行きの切符を手にする事が出来た。ひとつ気になったのが時刻表に一緒に表示された料金。同じ釜山行きでも8,000〜12,000ウォンと開きがある。我々は迷わず一番早い便のチケット(10,000ウォン程度だった)を買ってしまったが、選べばもっと安い便もあるようだ。まぁ安い奴はバスがボロボロとかいうオチもありそうだが。 バスを待つ間、自販機でコーヒーを買って飲む。紙コップ式と普通の缶入りをみんなで色々買ってみるが、どれも凄まじく甘く、そして不味い。ビールはそこそこ美味いのだが・・・ コーヒーでふと思い出したが、初日に金浦空港のマクドナルドに寄ってコーヒーを飲んだ。モノの本に「韓国ではコーヒーを“コッピ”と言います」などと書かれているものだから張り切って「コッピチュセヨ!」と叫ぶとあっさり「コッフィーですね?」と日本人より遥かに英語に忠実な発音で切り返された事を思い出した。 さて、バスである。確か11時過ぎの発車だったと記憶している。ごく普通の観光バス、といった雰囲気で、ワンマン。客席はまばら。時間通りにターミナルを発車し、高速道路に入りどんどんスピードを上げる。もっとスリリングかと思ったが何の面白みもなく、ポンチャックもかからない。 知らない人のために解説しておく。ポンチャックというのは韓国音楽のいちジャンルで、乱暴な言い方をすれば「テクノ演歌」である。当時っぽく言えば「ユーロビート演歌」かな。安物のシンセサウンドに乗せたド演歌がメドレーになっていて、メディアはCDやレコードではなく必ずカセットテープ。A面B面に各1曲ずつしか入っていないのが特徴である。1曲という表現は不適切かな。無理矢理つなげてるだけだから・・・。そしてこのシンセのベースラインが必ずオクターブで「ポンチャッ、ポンチャッ」というリズムを刻み続けるので「ポンチャック」という名前が付いたらしい。高速バスではこれがエンドレスでかかり、ババア共が踊り狂うという事前情報もあったのだが、少々事情が違ったようで残念。貸切ツアーなんかだとそうなるのであろうが、乗り合いでやりほど韓国人もバカではないという事か。 日本でもこの少し後にイ・パクサ(李博士)が日本の歌謡曲をポンチャックにアレンジして小ブレイクしたのでご存知の方もいるであろう。 しかし本家でポンチャックはあくまでも演歌。年寄りが聴く音楽なのだ。そして僕はどうしてもそれが聴きたかった。ソウルのレコード屋では入手出来なかったが、高速のサービスエリアには必ず売っているらしいので是非入手しておきたいところだ。 2時間ほど走り、バスは側道へ。おぉこれはまさにサービスエリア。バスが停まり、運転手が二言三言乗客になにか告げると、韓国人達はゾロゾロ降りて行く。トイレ休憩か。我々も続けて降りる。 トイレもそこそこに、いそいそと売店へ・・・あったあった。一角をテープ売り場が占めている。しかし僕はハングルが全く読めない。唯一読めるK塚はバスに残っておりいない。さんざん迷った挙句、結局直感で1本のテープを購入し、バスに戻る・・・なんとっ!!バスが発車してるっ!!! 大慌てで駆け寄り、手を振るとバスは止まってくれた。こんな所で置いてきぼり喰らったら野垂れ死にである。危ない所だった。 その後バスは無事釜山に到着し、釜山なのに何故か「ソウル荘旅館」という名前の安宿に荷物を降ろした。料金はソウルの宿と同じく8,000ウォンだが、こんどはぶっきらぼうだが優しいアジュマもしっかり日本語を解したので2部屋取る。広くて非常に快適な部屋だ。 早速購入したテープを聞いてみる。安っぽいシンセの音、単調なベースのリズム・・・間違いない、これがポンチャックだっ!!・・・でも、歌が始まらない。おっかしいなぁ・・・とその時、ジャケットを眺めていたK塚が一言。「これポンチャックカラオケって書いてあるじゃん・・・」 呆然。ポンチャックにカラオケがあるとは・・・侮り難しポンチャック。侮り難しコリアン。 あまりのショックで、この日何を食べたかすら覚えていない。 明日こそ絶対に歌入りポンチャックを買ってやる。 |
| 第8話 ハワイアン韓国へ行く その3 街に出てはみたものの、別に行く店が決まっている訳ではない。ガイドブックに載ってる店じゃ詰まらないし、安くもない。韓国と言えば焼肉だが、牛肉は決して安いとは言えない。有名な店だとカルビ1人前20,000ウォンなんて普通である。無論、はなっからそんな店に行く気は無い。 ああでもないこうでもないと話しながら道を歩いていると、K塚が若い現地人に呼び止められる。どうやら煙草の火を貸してもらいたいようだ。K塚がライターを貸すと、彼は韓国語でどんどん話し掛けてくる。この頃からアジアのホープは「アジア顔」で、どこの国でも現地人に間違えられる要素を持っていたのである。K塚がやんわりと「日本人だよ・・・」と伝えると、彼の顔つきが変わる。日本語で「日本人ですかぁ〜!ボク日本の早稲田大学に留学してました!」などと言うではないか。なんか胡散臭いなぁ・・・と思いながら話を聞いていたが、どうやら怪しい人間ではなさそうである。彼(名前は失念したので以後「彼」と呼ぶ)は僕等よりもいくらか年上で、大学を出て今は兵役に就いており(韓国で兵役は成人男子の義務)、今は休暇中との事である。 すぐに意気投合し、一緒にメシを喰いに行く事にする。どんな店に行こうか・・・なんて話の中で、O内とS武が「韓国って犬食べるんだよね・・・」「犬料理の店なんてどこにあるんだろう?」といった話を始める。それに彼が喰いつく。「犬おいしいですよぉぉっ!!犬食べに行きましょう!!」と歩くピッチを早める。どうやら犬料理の店に連れて行ってくれるようだ。初日からなんという幸運。期待に目を輝かせつつ後に続く4人。 5分ほどで汚らしい店の前に到着。だが様子がおかしい。彼が残念そうに「今日休みです・・・」がっかり。気を取り直して別の店へ。彼が案内してくれたのは、豚肉の焼肉を食べさせてくれる薄汚い食堂だった。食文化として犬料理が存在するとは言っても、やはり店の数はそれほど多くないのであろう。牛肉以上の高級品だという話もあるし、あまり深く追求してハマってもしょうがない。壊れそうな戸を開き、店内に入る。床は土のままで、吸殻も食べカスも捨て放題。脂ぎったテーブルにカセットコンロ。コンロの上にはアルミ箔をひいた小さな鉄板が鎮座している。席につき彼が店のアジュマにウラリロラ!!と一言二言告げると、矢継早に食材が運ばれてくる。豚肉、様々な種類のキムチ、辛味噌、葉っぱ類、それに生のニンニク・・・ 彼が手本を見せてくれる。肉を鉄板で焼いて包み菜に乗せ、その上に辛味噌と生ニンニクを乗せて巻いて食べるのがコリア式のようだ。生ニンニクなんて辛くて食べられないよ・・・と思いつつ、真似てみる。美味い。どうやら日本で流通しているニンニクと韓国のそれとは品種が違うようである。 肉自体は脂気も無く味がついている訳でもない。とても料理とは呼べるような代物ではないが、それでも十分美味い。腹ぺこヤングには最適だ。腹一杯肉を食べ、ビールをしこたま飲み、仕上げはアジュマの作るキムチ炒飯。テーブルの残り物を全て鉄板にぶち撒け、さらに大量のキムチとご飯を追加して炒めただけ。それなのに、涙が出るほど美味い。侮り難しコリア。 しこたま飲み食いして、お礼代わりに彼の分を4人で分担しても@2,000円しなかったと思う。 その後、彼の案内で明洞のレコード店へ。ミュージシャンとしては韓国音楽に触れない訳にはいかないだろう。当時韓国ではレゲエやラップが流行していたが、流行りモノに興味があるのはK塚だけ。O内はチョー・ヨンピルのCD、僕は横浜銀蝿風でもあり、ロックオタク風でもある兄ちゃんがジャケに写ったカセットを1本買った。本当はポンチャック(後に詳述)が欲しかったのだが、彼に「若い人は聞かないよぉ〜」と一蹴されてしまった。 彼とはここで別れ、宿に戻る。アジュマは帳場の奥でもう寝ているようだ。 早速買ってきたカセットを聴いてみる。横浜銀蝿というよりも尾崎豊のような暑苦しいロックだった。 初日からディープなコリアの一面を垣間見る事が出来、大満足でS武と1つの布団を分け合い、寝る。 明日は高速バスで釜山だ。 |
| 第7話 ハワイアン韓国へ行く その2 金浦空港に降り立つ。何となく空気が韓国料理に染まっているような気がする。寒い。日本より緯度が高いのだから当たり前なのだが、底冷えする空気である。 イミグレーションを抜け、各々銀行で両替する。出発時の所持金が3万円の僕は、帰国時の電車賃を考えて2万5千円を窓口に出す。窓口のアガシはちょっと驚いたような様子で片言の日本語を話した「コレダケデスカ?」・・・大きなお世話だ。 ここからソウル市街に移動したのだが、バスだったかタクシーだったのか記憶が抜けている。いずれにしてもソウル中心部・明洞(ミョンドン)の高級ホテル・世宗(セジョン)ホテルの前に降り立った薄汚いバックパッカー4人は颯爽とホテルの回転扉を抜け、ロビーでゆっくりとくつろぎ、その後にチェックインは当然のようにせず、安宿を探すべく雑踏へ足を踏み入れて行ったのである。 当時のソウルの街並みは、日本よりも20年くらい遅れている印象。大きな綺麗なビルも目立つが道路は埃っぽく、車はたえずクラクションを鳴らしながら爆走し、中心街を少し外れると物乞いがそこかしこに見受けられた。 「地球の歩き方」を頼りに見つけた宿は薄汚い路地裏にあり、我々がドアを開くと年季の入ったアジュマ(おばちゃん)が顔を出す。女主人がひとりで経営しているようだ。年配の韓国人は往年の植民地支配の影響から大抵日本語が話せるのだが、彼女は全く駄目らしい。K塚のたどたどしい韓国語と身振り手振りで「4人でひと部屋あるか?」と聞く。アジュマは満面の笑みで我々を招き入れ、部屋を見せてくれる。古いが部屋は小奇麗で、6畳くらいだろうか。野郎4人には少々窮屈だが、@8,000ウォン(約1,000円。当時100ウォン=12円くらいの相場だった)ではあまり贅沢も言えない。全員が納得の上でここに決めたぜおばちゃん!と意思表示する。でも待てよ。布団が2つしかないけど・・・? するとアジュマはニヤリと笑い、まず指を2本立て、次にゆっくりと1本立てた。つまり、「2人で1つ」と・・・えぇぇっ?? 一瞬面食らった僕等に女主人が吐いた言葉はなんと「ケンチャナヨ!!」だった。 のっけからケンチャナヨ精神が炸裂。そして僕等にも一気にケンチャナヨ精神が染み渡り、ケンチャナヨケンチャナヨと笑顔で連呼しながら荷物を部屋に下ろしたのであった。 後から考えてみると、2人部屋を2つ借りても値段は多分一緒だったんだろうと思うが、アジュマは僕等が4人一緒じゃなきゃイヤなんだろうと気を遣って2人部屋だがいちばん広い部屋に通してくれたんじゃないだろうか・・・なんて思うのである。 K塚がアジュマに聞いたところによれば門限は無さそうな感じ。床はオンドルで暖かく、お湯もちゃんと出る。未開の地じゃないんだから当たり前と言えば当たり前なのだが、まずは一安心。 早速余計な荷物を部屋に置き、陽の落ちはじめた町へと繰り出す4人であった。 |
| 第6話 ハワイアン韓国へ行く その1 ここからしばらく続き物として、韓国卒業旅行の事を書き記す。たかだか10年前の事なのに記憶がかなり曖昧になっている事に愕然としつつ・・・ 今の大学生がどうなのか知らないが、当時は卒業旅行に行く大学生はけっこう多かったように思われる。我々ハワイアン@91の4人組(K塚・O内・S武・S野=僕)もご多分に漏れず、そんな悠長な事をしていられる身分では無いにも関わらず、色々と計画を練っていた。なにしろ4人のうちまともに就職が決まり卒業も大丈夫、という状況なのはO内だけだったのだから。 しかし、卒業してしまえば4人で旅行なんて不可能であろう。就職できなかろうが卒業が危なかろうが、社会の歯車になる前に云々・・・なんて職も決まってないのに青臭い事を抜かしていた自分がそこにはいたのだろうと思われる。 行き先は直ぐに決まった。というよりも決まっていた。近くて遠い国・韓国である。K塚と僕は韓国渡航経験があり、ネタの豊富さは良く知っていた。韓国人の気質・国民性に関しては言いたい事が山ほどあるが、それはとりあえず置いておいてメシは美味いし物価は安い、交通機関も日本に比べればタダ同然で貧乏人が楽しむにはもってこいの場所だ。O内も乗り気。S武だけが「オレ辛いモノ苦手なんだよぉぉ〜」と渋ったが、最終的には皆の説得に折れ、卒業試験後の2月中旬の予定で計画は進められた。 東京から鈍行を乗り継いで下関まで行き、関釜フェリーで現地入りするというのが当初の計画だったが、阪神大震災による交通網の麻痺と、時間も金もかかりすぎるという理由から却下。素直に成田から飛行機で向かう事にする。目的地はソウル・釜山で4泊5日。 往復の航空券代金は3万1000円。試験でバイトも出来ず台所事情は苦しかったが何とか捻出したものの、現地に行って使う金が無くてはどうしようもない。必死になって3万円かき集め、日数分のパンツ・靴下・Tシャツと煙草・パスポートだけの荷物でいざ出発。 京成上野駅で仲間と合流し、電車で成田へ。4人の中で一番飛行機慣れしてない僕は次第に緊張が高まる。未だに飛行機は苦手で、気流が悪くて揺れまくってるのに平気でイビキかいていられる人が本当に羨ましい。 航空会社は大韓航空でなく韓国NO.2のアシアナ航空で、盛り上がる旅慣れた3人を尻目に僕は座席で固まっていたような記憶がある。 機内でO内は根本敬の「ディープ・コリア」かなにかを取り出し、「韓国はケンチャナヨ精神の国だってよ。よし、まずこれを覚えよう・・・ケンチャナヨ・・・ケンチャナヨ・・・ケンちゃんと美奈代だな・・・」なんてバカ丸出しの話をしている。そんな言葉の前にアンニョンハセヨくらい覚えろよ・・・と思いつつただ固まる僕。ちなみにケンチャナヨというのはTake it easyくらいの意味である。さらに現地のアガシ(おねえさまの総称)と一緒に写真を撮るにはどう話し掛ければいいのか等々、勇気も根性も無いが欲望だけは脳内で肥大化の一途を辿るバカ大学生を乗せ、ボーイング747は日本海を越え、一路ソウル・金浦空港へ・・・ 余談:金浦空港の字が思いつかず検索したら大改装したみたいでびっくり。仁川に新しい国際空港が出来た事は知っていたが、それにもめげず国内線中心で且つ巨大ショッピングモールが併設されたようだ。 |
| 第5話 史上最低の釣り また釣りかよ、と言わずにまぁ読んで下さいな。 かれこれ5年ほど前の話である。当時通っていた床屋さんのあんちゃんが釣り好きで、いつもああでもないこうでもないと釣り談義に花を咲かせていたのだが、ある時近所の穴場を教えてもらった。車で20分ほど、裾野市の山中にある小さな池で、ブラックバスの大物が狙えると言うではないか。いつも2時起きで山中湖まで遠征していた僕は近所にそんなトコあるならそこでいいじゃん!と、早速行ってみる事にした。 書いてもらった地図を頼りに愛車・インテグラXSi(10年落ち)で山道を行く。車高の低い車にはかなり厳しい悪路だ。・・・左手にビニールハウスがあって、あぁこの先が分岐しててそこを右で・・・ガクッ。あれっ?…落輪したぞ。地図に気を取られ過ぎて、かつ草ボーボーで左脇の側溝に気付かなかったようである。とりあえずクルマを降りる。縦横30cmほどのありふれたコンクリートの側溝に左前輪が完全に落ちてしまっている。 参ったなこりゃ。とりあえず運転席に戻り、ステアリングを左一杯に切る。ギアをリヴァースに叩き込み、VTECを吹かしてクラッチを上げる。ゴムのこすれるイヤな音が響くばかりで、上がって来る気配もない。これ以上ヨコハマ・グランプリM5を傷付けるのは得策ではないと判断し、再びクルマを降りる。 おもむろにバンパーを持ち、うんこらしょっ!と持ち上げてみる。怪力選手権じゃあるまいし、かつて雑誌広告で一世を風靡した「ブルワーカー」のマンガに出てくる「以前の僕はひ弱を絵に描いたような男で…」を地で行く僕に持ち上げられる訳がない。そうだ力が無いならアタマを使え。側溝に石を積んでスロープを作ればいいんじゃないか?よし、やってみよう。早速そこらから手頃な石をかき集め、脱輪個所に回る。側溝のすぐ先は高い石壁になっており、クルマとの間は50センチほどしか開いていない。体をよじって側溝に手を突っ込み、石を並べようとした刹那、クルマがゆっくりと壁側に動いているのに気付いた。慌てて顔を上げる。それまで前輪にばかり気を取られていて気付かなかったが、後輪もギリギリのところで踏み止まっている状態だったのである。それもぬかるんだ泥の上。そして僕があれこれこねくり回している内についに堪え切れず落下を始めたのである。 潰される!!・・・ゆっくりと落ちて行く後輪と、それに伴い狭まっていく僕の身の置き場。頭の中を「釣りの会社員、自分の車と壁に挟まれ圧死」の新聞記事が駆け巡る。こんなトコで、こんな死に方するなんて・・・・・・ 必死の思いで体勢を立て直し体を壁に張り付かせ、直後に左後輪は鈍い音を立て完全に落下。最悪の事態は免れたもののもはや自力ではもうどうにも出来ない状態である。仕方ないJAFを呼ぼう、とグローブボックスを開ける。・・・会員証が無い。しまった・・・こないだ届いた会員証家に置きっぱなしだ・・・まぁいいか。最初の1回は会員証無くてもおっけだったよな。とにかく電話しよ・・・携帯が無い。よりによって携帯不携帯。仕方なくクルマも釣り道具も全て放置し、下界まで歩いて降りることにする。20分ほど歩き、ようやく腐りかけたような、田舎にありがちな雑貨屋兼食料品店風の店を発見。店は休みのようだが、公衆電話はある。タウンページを開き、ふと考える。JAFって何屋だ?・・・今思えば「ロードサービスだろっ」と浮かぶのだが、窮すれば鈍する、である。「自動車修理」とか「レッカー」とか、ちょっと的が外れた場所を必死に探す。10分ほどしてようやく己の過ちに気付き、JAF富士営業所の電話番号を発見。10円玉を投入しダイヤルを回す(回してないけど未だにこの言葉の方がしっくりくるのは僕だけ?)。・・・「落輪です。場所は裾野市・・・」「あぁそれでしたら沼津営業所に掛け直してください。番号は・・・」おいおい紙もエンピツも無いよ。がんばれ俺の脳味噌・・・ブツブツと聞いた電話番号を唱えつつ、次の10円玉を探す。・・・無い。しょうがない100円玉で・・・100円玉も無い。テレカなんて持ってたかな・・・あぁあった。でもこの保険屋に貰った森高千里(非売品)は使えん!でも他に無いよ・・・ごめんよ森高・・・ 30分後、精根尽き果てた僕のもとに現れたJAFの兄ちゃんが神様に見えた事は言うまでもない。 コレ、釣りの話全然出て来ないじゃん。だってこの後釣りする気にはさすがにならず、そのまま帰っちゃったんだもん・・・ 余談1:目的地には後日辿り着けたが、魚は全く釣れず・・・ 余談2:この時のテレカは未だに免許証と共に持ち歩いている。お守りみたいなもんですね。疫病神のだけど。 (2004年5月20日) |
| 第4話 Winny製作者逮捕(怒) PC使って飯喰っている人間にとって、或いは音楽を愛する人間にとってこの話題は避けて通れない。別の文章を用意していたのだが、こちらに差し替える。 違法ダウンロードについて議論する気はさらさら無い。僕が問題にしたいのは、違法な物を押さえつける方法が間違った方向に進んじゃいないか?という事。 酷い音質のCCCD。輸入盤の販売禁止を含む著作権法改正法案。これらは一体誰の為にやってる事なの?「著作者の権利を守る」という大義名分の下、利権を独り占めにしようとする腹黒い連中の影が見え隠れしてない? 逮捕された47氏=金子氏は現行のポンコツ著作権法に風穴を空けようとした素晴らしい技術者だと僕は思う。技術的な難しい話は僕には理解出来ないけど、使い方によっては全く新しい著作物流通手段となり得た、日本が世界に誇ることが出来たかもしれないソフトウェアの開発者をなぜこの時期に逮捕したのか? 「ハイテク犯罪」(笑。ハイテクって何だよ)で大活躍の凶徒不敬が身内の不祥事に逆ギレして強引に逮捕したようにしか僕には思えないけど? 「挑発的態度」が逮捕理由って、ここは北朝鮮ですか? キンタマウイルスの作者が捕まえられないから代わりに捕まえただけじゃないの? それとも「CDが売れないのは違法ダウンロードのせい」なんて品質の著しい低下は棚に上げて吼えてる方々にそそのかされた? おかしい。この国はどんどん間違った方向に進んでいるとしか思えない。 最後に金子氏不当逮捕に関するページをいくつか紹介しておく。 Winny開発者 47氏を救う為に Out of heaven Winny開発者の47氏を応援するページ さらに一言。報道を鵜呑みにするな。賢いハワイアン諸兄は大丈夫だとは思うが。 (2004年5月11日) |
| 第3話 人生という名の競馬場 僕は賭け事が嫌いではない。 特に、競馬が大好きである。 昔はパチンコも散々やったが、運だけで勝敗が決まってしまう機械相手に大金を投じるのが馬鹿らしくなってしまい、今は全くやらない。同じ理由で宝くじも買わない。 麻雀も大好きだが、賭け麻雀は刑法185条に抵触するのでやったことがない事にしておく。たとえ僕がハワイアン時代に「麻雀部長」と呼ばれ、先輩に「麻雀やってる暇あるならギターの練習しろ!」と説教されていたにしても、である。 競馬はいい。たとえ百円しか所持金がなくても馬券は買える。千円札1枚で1日楽しむことも可能だ。「それなら競輪でも競艇でもいいじゃん」といわれそうだが、それは違う。 馬が走るから、面白いのである。 自転車こいだりボート走らせたりなんてのはいくらでも調整ができる。人間がやる事だからね。作為的な不確定要素に大事な金は注ぎ込めない。 馬だって人間が乗ってるじゃねぇか!と言っても、走るのは馬である。この不確定要素をどう検討するかが面白いのだ。 馬の能力・実績・調子、騎手の能力、距離、ペース、天気まで鑑みて十二分に時間をかけて予想し、100円の馬券を買う。これが醍醐味だ。 外れたってたかが100円、当たれば何倍かにはなる。それが次のレースの資金になる。別に競馬で生活している訳ではないので、それでいいのだ。博打で儲けて何かしようとか何を買おうとか考えるのは馬鹿げている。そんな事は儲けた時に考えればいいのだ。 競馬には賭博の要素とはまた別の、血のドラマがある。 ダービーで惜敗した大好きなあの馬の仔が、親の無念を晴らす。 親子三代で、同じレースを勝つ。 現役時代ライバルだった牡馬と牝馬の仔がデビューする。 別に高原系ポエム女のように、競馬にロマンを求めている訳ではない。 負け続けることでのみネタにされる、つまり勝つ必要のない駄馬に「励まされました!」なんて抜かすバカも嫌いだ。 軽すぎる。 競馬は人生そのものである。 いつも最後の直線で弾丸のように飛んできて、でもいつも勝馬には届かないあの馬に、ゲートが開いた瞬間まるで何かに追われているかのように暴走し、ゴール前で力尽きて後続に飲み込まれていくあの馬に、勝ち続けることでしか生き残れない雑草のような血統のあの馬に、いくら結果を残しても次走は他の騎手に馬を取られてしまうあの騎手に、自分を重ねるのである。 競馬は、競走馬は、勝ってこそ価値がある。しかしながら、勝つだけが全てではない。だからこそ負け組と呼ばれる人々が今日もどこかの競馬場で、名もなき自分の分身の単勝馬券を握りしめているのである。 |
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草加の話に続き、もう1つだけ大学時代の思い出話を書いておこう。 |
| 第1話 草加物語
大学を卒業してから、草加には数回しか行っていない。 |
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