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| 第9話 エルヴィス・プレスリー ヒーロー伝説 (ささやかなハワイアン人生シリーズは一旦お休み。暫し余談をお楽しみください) 8月16日はエルヴィス・プレスリーが他界した日、だったはず。こよなく歪んだ愛しかたをしていた僕は密かに毎年この時期、一人追悼を行っていた。 ハワイでは12月のジョン・レノン追悼セッションが恒例だったけれども、ああいうのも気持ちが入っていてよかったな。エルヴィス・プレスリーを大きく取り上げた人は僕の在学中、マイスタージンガーズ以外にいなかったと記憶しているけど、逆にそのことがエルヴィス・プレスリーを自分だけのものにしてきたといえる。ヒーローの中のヒーローである彼にまつわる暗い話もまた、アントニオ猪木に通ずる特有の不気味な空気を醸し出していて、最高に惹きつけられる所以だ。 ドーナッツ中毒なんて聞くと逆に尊敬してしまうのは僕だけ?普通の尋常な人間ならドーナッツ中毒なんかになりませんよ。 ある本によるとエルヴィス・プレスリーは幼少期よりもの凄くシャイで人前で歌うことなんて考えられなかったというのだが、その彼が何かにとりつかれたように黒人音楽をシャウトし、あっという間に世界的なヒーローになったところで、ドーナッツ食いまくるくらい平気でありうる話だと思うのだけど。ちなみに凄い偏食だったともいうし、甘いものは特に好きだったとも。それくらいの軽い変態度はヒーローに必須でないかと思いません?何か魔物的なものがないとその人を愛せない病的な嗜好に入っていくけどね。僕はもっとダイナミックに軌道を逸したものをヒーローに求めている。 8月16日には彼の後期、盛んに行われていたライブビデオの数々を見ることにしている。深刻なヤク中だったという話は、最近大麻自家栽培で御用になった中島らもの本にも書かれていたけど、ヤク中になったくらいでヒーローの名を汚されることはありえない。その逆に神格化してしまうくらいの懐の深さをロックンロールの世界は持っているから不思議だ。 それにしても、何故僕らはヤク中にあこがれてしまうのか?ちょうどフーテンの寅次郎のように浮世離れしたボケを発するにはヤク中が一番近い状態なのだろうか・・・ ・。あまり立派な人にはあこがれを持たない趣味の僕は、そんなことを考える。クリック・エラプトン(仮名。ってバレバレだけど)は確かに凄そうだけど、立派な感じがして苦手。やっぱり演出も含めながら人生に暗い影を落としまくるキース・リチャーズのほうがずっと好き。ついでに風間杜夫も好き。 次世代マンモス大物ヒーローを心待ちにしている。 (2004年7月12日) |
| 第8話 ささやかなハワイアン人生 デモ演編 部の活動の一つにデモ演奏というのがあった。主に学内の3棟前などの埃っぽいアウト・ドアで行われたが、これが何かとてもいい雰囲気なのだ。何のためのデモ演奏なのか、あまり自覚もなかったけど、やっぱり音楽は家でコソコソ、ヘッドフォンで聞くものではなく、野外で派手にやるに限る。 部内でコツコツやっている次元からいきなり不特定多数の前での演奏になるのだから、まず緊張感や満足感が違う。演奏するものにとって誰かに聞いてもらうということは何をおいても嬉しいものだ。 そんな露出の快感の虜になってしまった人に、楽器をやめろというのはかなり酷な話。僕自身、卒業以来バンドをやる機会もなくてウズウズしてるけれど、チャンスさえあればいつでも飛び込んでいける、否、飛び込んじゃう。 野外だと音も快く響き渡って気持ちがいいんですねー。商店街とか公園でデモ演奏やるときは、ちょっぴり変態度も高まって、気分はすっかりテロリスト。ストーンズよろしく、トラックの荷台で演奏しちゃうみたいなかっこよさをそのまま自身に投影させたりして。いやーバンドはやっぱり野外に限るなあ。 それと、僕が入学した年、ハワイアンの新歓デモ演は確か2棟・3棟間のスペースでやっていた。今でも強烈に覚えているのは、炎天下、ハリスツイードを着たイケメンのヴォーカルがジャック・ダニエルのボトルをラッパしつつ、けだるそうにストーンズをやっている光景。酒に弱い新入生ロックンローラーはその場で入部を即決、今考えても強烈に効く一幕でした。(後日、ボトルの中身がウーロン茶だったことが判明、だけど騙された感じはしない) ちょうど時期的にはバンドブームの最中、ライブハウスでの活動なんかも積極的にやればよかったなー、と今では思いますが、あの頃は部の活動でそれなりに忙しくてあまり頭がまわらなかったのかな。 バンドブームで思い出したけど、当時ブームとしてはかなり熱いものがあって、バンドやってれば女にモテる、といった表現が決して大げさではない感じ。小学校の同級生なんかにその辺でバッタリ会っても、誰それがバンドやっててライブがどうでカッコよかった、とかその手の話題は多かったと記憶してる。女の子もキャーキャー騒いでるし、これはまずいなと。それ故に訳の分からないのも多かった感じで、音楽雑誌なんか見てても「メンバー(全パート)募集、当方Vo (♂)」なんてすごい身勝手なのもよくありましたっけ。近所のスタジオに行っても氷室みたいのがうじゃうじゃ出入りしてたり、喫茶店にギター立て掛けてたむろってたりね。 バンドやろうぜ、イカ天、ロフト、ヘビメタ、パンクス、ボウイ、プリプリ、新宿、いろんなキーワードがあった。今もキーワードは変わっても同じなんだろうなあ。 「メンバー募集 当方トーク担当。最初はコピーで徐々にオリジナルもやりたし。当方のトークを盛り上げてくれるような演奏メンバー希望」 なんか松崎しげるみたい。 |
| 第7話 ささやかなハワイアン人生 部会編 毎週金曜日だったか、3棟奥の部屋で部会は行われていた。 どんなに授業に出ていなくても、用事があろうともこの部会だけは重要なので何とかして行かなければ、と思うひとと思わないひとと両極。僕は全般的に後者のほうで、部会は出なかったりすることが多くていつもひんしゅくだった。不謹慎極まりなくてこんなところで書くのは本当に罰当たりだとは分かりつつ、何故出なかったかについては未だに申し訳なく思う反面、実際自身でも原因不明だ。入学当時から抱いてきたハウツー・ロックンローラーの薄っぺらい偽思想がそうさせたのか、いやそうではなくて純粋に面倒くさがりだったのかな。 部会では毎週のバンド練習スケジュールを決める「部屋取り」がある。このときにバンマス自らが挙手して部屋の確保を名乗り出なければならない。こんな重大な立場でありながら部会にも出ずバンドメンバーに肩代わりさせて押さえてもらうなんてよくあったけど、我ながら最低だなー。 ま、いまさらどうしようもないのでサクッと頭を切り替えてこれからはきちんと出ることにします。(ってオメエ、もう部会なんてねーよ!とお怒りなさるな。これから先の人生でね。) それと、部費の徴収もここで行われる。毎月1,000円くらいだったかな、その程度のお金も滞納することが多くて、そうなると段々卑しげな考えも沸いてくるものだ。何で払わなきゃいけねんだよ、意味ねーよ!と開き直ったり、会計のやつに猫なで声で接近したり、挙句の果てにはこのままトンずらしちゃおうかな・・とかね。 部費部費(ブヒブヒ)のセリフを言うだけのために会計に任命された人もいましたが、こんな鼻息の荒い滞納者が多かったことを考えるとその心境やいかに・・・。大変申し訳なく・・・、今からでも未払い分、慰謝料と一緒に支払わせてください。 こんな行動パターンが、今も年金未払いの自分に直結したりして。これから先のことを考えると笑えない悪癖であります。 部会が終わるとちょうどお昼時。自然と学食に足が向かい、渡瀬恒彦が盛り付けた独協ランチを注文して何のためらいもなく食べる。 こんな日常がつづく。 |
| 第6話 ささやかなハワイアン人生 ダンスパーティー編+悲しきロックンローラー神話 初夏、浮かれ気分真っ最中に恒例のダンスパーティーは行われる。僕の頃(90年代前半)は学食一階部分を使い、テーブル・椅子を全て取っ払ってそこをダンスホールにしつらえていた。最初はダンスパーティーとか聞いて、てっきり六本木のディスコなんかをイメージして興奮しまくっていたのだけど、実際は軽音の連中がダンサー兼バンド演奏を勤めるという、ちょっと(というかかなり)内輪チックなイベントになっていた。一般の学生がくねくね踊ったりとかいうのはついぞ一度も見なかったなあ。この日ばかりは、独協ランチ担当の渡瀬恒彦も早々と家に帰ることになる。 ダンスパーティーということもあり、ハワイアンではそれなりに雰囲気に合った曲目を用意して臨んだ。当日は全員アロハシャツ着用。慌てて買いにいく奴も続出だったけど、当時アロハは流行ってて僕はしっかり高校のときに買って持ってた。(何故か新田の古着屋で購入、のちにここは警察の御用になって閉店) 僕の場合、流行ってたからこだわりなく着れたけど、何の前触れもなく突然ど派手なアロハ着用する新入生の戸惑いも、またハワイ風物詩の一つに数えられるだろう。 さて、バンド演奏は軽音ごと順番に行われ、それぞれ特色のある演奏が一挙に聴ける滅多にない機会であり、お互いの交流も盛んになるときであった。イベント中はビール飲み放題だし、祭りだーってムードはバッチリだったなあ。 イベントが終わると他のサークルと飲み屋で合流したりして、お互いに自己紹介なんかもあったと思う。この頃になると、うちはよそより全然イイゼ!とかいう自負も芽生えつつあったのかな。 話は変わりますが、僕は困ったことに入学当時から気持ちが完全にロックンローラー。といっても完全に筋違いの思い込みで、本当に青いなあとか思うんだけど、例えば、ロックンローラーに礼儀はいらねえ!とか本気で思ってたりして。部の規則にのって何時に集合する、とか機材搬入の手伝いだとかそんなことはロックンローラーじゃねえ、とかね。恐ろしい思い込みですけどね。 僕の目指していたロックンローラー像といえば、ドラッグ漬けのフラフラ&ラリラリ状態で、教室なんかでバリバリ錠剤かじりながら両手には何故か金髪の女。放課後、ギターを持つとアンプを蹴っ飛ばしながら歯で弾きまくり、血だらけの口で、だってこれが俺のスタイルじゃん、が口癖。でも実は繊細で時々鬱になって一人ぶるぶる震えてたり・・・。 いったいお前誰なんだ?とどやしつけたくなるような、スーパースターいいとこダイジェストの切り貼り+ミックスというの奇怪なもので、噴飯極まりない。元ネタとしてはプレスリー、ストーンズ、ジミヘン、ジャニスなんてことは説明の必要もないでしょう? テレビの影響と思い込みの激しさは恐ろしいものだが、そんなコミカルな思いこみが、今になればいとおしくさえある。当時の僕の行動パターンはそんな思想に支配されていたが、なりきれなかったところもまた小市民すぎて馬鹿馬鹿しいのですけど。 第一そんなこと真面目に考えてるんだったら大学の軽音楽部になんか入らねねえっつーの。 色々おかしなことが突出し始める、初夏です。 |
| 第5話 ささやかなハワイアン人生 合宿編(おお!キャメロット) 今はどうしているのか分からないけど、私の過ごした90年代の合宿は河口湖のキャメロットというペンションが恒例だった。1986年創設で一階部分がスタジオ、2階が宿泊部屋というつくりになっており、比較的快適だったと思う。 新宿から高速バスに乗って中央フリーウェイに入り、右に見える競馬場、左はビール工場なんてやってると河口湖に着く。東京より涼しい環境と非日常的なリゾート感覚が入り混じって、死ぬほど暇な夏休みを過ごしてきた僕らにはエキサイティングなこと極まりない。近辺には富士急ハイランド、河口湖なんていうリゾート施設もありながら、多分一度も行かなかったのではないか。そんな施設には目もくれない連中ばかりで朝から飯の代わりにビール飲んでるやつとか、毛布に包まって昨夜の寝不足を取り返そうとするやつら、誰からもそんな前向きな提案は発せられないのだ。またバンドの練習時間は綿密に決まっているので忙しい人だとただ単に外出する時間もなかったのだろう。 合宿では朝から晩までスタジオの利用スケジュールが決められている。バンドごとにまんべんなく割り当てられるが、これに平行して、合宿特別編成セッションみたいなのがあって、この練習もコソコソ秘密裏に行われていた。それぞれが発表会のヒーローになるべく怪しいたくらみを持っていて、スタジオに覗きに行くと鍵がかけられているなんてこともあって熱心さの中にヤバさも共存していた。 部屋は2段ベッドの下級生部屋と、畳の大部屋(ひそかにジジイ部屋とか呼ばれてた)があり、物憂げな下級生部屋とは対照的に大部屋では常にダイナミックな酒盛りやお楽しみショーが行われていた。夜もろくすっぽ眠れないので、疲労は重なる一方、何故か感覚だけは鋭敏になって行く。 最後の夜、発表会は大きな大部屋スタジオを借りて行われる。食事をしながらの演奏だが、この日はいつも1階食堂で出される料理とはちょっと違い、唐揚げとかフルーツ盛り合わせとか何かそんなちょっと豪華な感じのものが出たような記憶だけど、全体的に言って当時あまり美味しいと思った記憶はない。(すみません、バチ当たりで・・) この発表会の頃には完全に体力も消耗しているのでまさに最後の残り火といった感じだが、それでもかなりみんな頑張って大変な盛り上がりを見せる。同じ釜の飯・・・というけれど、本当にそんな付き合いがあったのですよ。 翌朝、疲れきった体を高速バスに委ね、また中央フリーウェイで家路につく。家に帰るとそれこそ爆睡だったっけ。 何か思い出すにつれ、今こそこんな合宿生活やってみないなー、と思ったわけです。 (もうちょっとソフトにですけどね) 疲れた社会人にはよく効きそうな感じじゃありません? |
| 第4話 ささやかなハワイアン人生 機材庫編 機材庫は部に与えられた倉庫で、確か2−3畳くらいの狭いスペースだったと記憶しているけど、足元だけでは収まらず、頭上にも無造作に棚を仕込んだりしていろいろなものがぎっしりと詰まっていた。アンプ類やスピーカー、ドラムセットがほとんどスペースを占有していた感じだが、時々何故か倉庫の隅に革のチョッキとかカツラとかムチとかロウソクとかごっちゃになって入っているので、入部当時は世界は広いなあとか感動したりした。 在学中は何度も足を運んだ。朝ギターを抱えて登校したとき、まず機材庫に行く。重いギターを預けておくために。そして午後はまた機材庫に戻ってギターを取り出し、学食で爪弾く。学食でたむろっていると突然トランプをやろうということになり、じゃんけんに負けたやつが機材庫まで取りに行かされる。酒が余るととりあえず機材庫に放置されるがいつの間にかなくなっている。 それと、先輩にはかつて学生運動の際に人が立てこもったり何かしてドアの取り付けがちょっと変わってるなんていう話しも聞いていた。詳しくは分からないけど、そんな風に聞くとちょっと怖かった。 冬の夜、練習が終わって道具を片付けると開けっ放しになったドアの内側にはポスターとか落書きとかがべたべた貼ってあった。そんなのを眺めながらタバコを吸い、バタンと閉めたらタラタラと皆下校してゆく。帰り道もみんなと一緒だからあまり寒くも感じなかった。そのまま飲みに行ったり飯食いに行ったり、でも行き先は大体決まっていた。本当、ささやかな思い出話。 |
| 第3話 ささやかなハワイアン人生 新入生歓迎セッション編 (これから何回かにわたって軽音ハワイアンにまつわるささやかな青春の思い出話を書きとめておきたいと思います。なるべく世代関係なく分かるものを選んだつもりです。) 新入生が入部すると毎年こんな時期に新入生歓迎セッションというのが行われる。若生い茂る中、フレッシュマンたちが主役になって先輩と混じり何らかの演奏を披露するのだ。これが彼らにとってのまあ最初の晴れ舞台ということになるのだろう。僕自身も、とても緊張していたし、また先輩たちの目の前で演奏することは何か一つのオーディションのような雰囲気があって何かどきどきしたものだ。 演奏が終わるとワーッと大きな歓声が上がる。本人は内心「うわー、まずったなー」とか思っているので、その歓声もただ単に自己嫌悪を煽るものでしかなかったが、よく考えたらシーンとなっていたり、「ケッ」とか言われたりするよりはよっぽど救われるのだ。これは翌年新入生が入ってきたとき自分が先輩となって始めて気がついたことでもあるが。こんな風にして嬉しくなった新入生はそのまま越路とかしまとかそんなところに連れて行かれ、確か自己紹介なんかもさせられたのだろう。何を言ったかもう覚えていないが、多分「先輩に負けないように頑張ります・・・」とか何とか決まりきったことを言ったのだろう。すっかり調子に乗って慣れない酒も入り、緊張も解けて有頂天の音楽自慢やひとっかじりのテク論議なんかしているうちに新歓は終わる。 春の夜空、不思議な臭いの空気を吸いながら、ああ入部してよかったなー、と思う瞬間である。へたでも何でもこういう趣味のあった人と一緒にいれるのはイイゼ!、と思うか思わないかそれは各人の捉えかた。趣味の全く違う一匹狼だと、チキショー俺は誰がなんと言おうとメタルだぜ!とか暗黒の曇り空に誓ったりして、不安な状況もあいまっていきなり悪の方向に進みかねない。 まま、そこは何とか妥協したりして・・・。1年後には何かもっと奥深い考え方が芽生えようものですから。 それと、僕の入学当時は学食の溜まり場にもあまり行かずにどちらかというとクラスのフレッシュマンたちとテニスしたりキャンプしたりどっちかというと「さわやかなキャンパスライフ」というキャッチフレーズを盾に女にどうやって取り入ろうかということに夢中だったけど、そのうち音楽に情熱が傾きすぎちゃっていつの間にか学食のハワイの溜まり場で独協ランチを作ってる渡瀬恒彦似の親父とかに熱い視線を送るようになってました。今考えてもこれで正解だったと思うのですが・・。 ああ、フレッシュだよなー。 |
| 第2話 「ローリングストーンズ」のように行きたい (ストーンズのファンが多い中、いろいろ反論覚悟ですが、太っ腹に呼みとばしてください、勝手な持論です。) ストーンズのギタリストはキース・リチャーズだ。僕もギタリストだが、彼の大ファンである。在学中はストーンズのコピーバンドもやっていて、そのときはキースのパートではなくてリードのほうだった。キース・リチャーズのザクザクしたパートはかっこよくて、何か別にたいしたことなさそうなんだけど、凄くいい響きがあるんですよね。 ちょっとテクニックの話になるけど、ギターは弾いている最中でも間合いを取って右手で弾かずに待つ一瞬間というのがある。休符というのか、キース・リチャーズの場合、それが何故かすごくカッコいいのだ。わずかな瞬間なので、音も何も発生していないし、さらに彼の場合ただ単にヘタクソな感じの「間」も多くて?なんだけど、いつも不思議とオリエンタルな空気があるのは何故? こんなこと言うと、この野郎またおかしなこと言ってるな、と思われそうだけど実際そんなのが僕の中にはあって、大きな魅力の一つに思っているんですね。噛めば噛むほど味の出るスルメみたいなレベルの話で、こんな偏狂的なファンが感じる熱い思いは別にしても、本人はそこまで狙いを定めて演奏をしていたのだろうか?とぼけた技巧として?答えはノーだ、と半ば断言したい。 どんなものであっても、それそのものがキース・リチャーズだったわけで、仮に後で「俺、狙ってるんでね」と本人が言ったとしても僕は信じない。それはファンに言われたことをそのまま言ってみただけのリップサービスで、実際にはまぐれ当たりっぽい感じがするが、どうでしょう? つまり、ただ単に強烈な個性だったり、揺るぎようのない己のスタンダードだったりということじゃないかと思ったわけです。その意味でキース・リチャーズのファンである僕は彼に激しい同意を寄せたいし、いつまでもスーパースターであり続けるのではないかと思うのです。 毎日生活している中で似たようなことを意識することがあります。例えば普通に話したことが、とぼけた技巧と思われていないだろうか?俺が狙っているとでも?(人差し指を左右に振りながら)チッチッチッ。僕は飽くまで無意識だ。フリチンです。君に何が伝わったか全く知らないが、これが俺の揺るぎようのないスタンダードだ、ということを思う。 普通、キース・リチャーズのギターを聞く人はそんな曖昧な休符のタイミングで嬉しがったりはしないと思う。この話は僕のような物好きが勝手に作り上げたキース・リチャーズ美化に他ならない。彼は全く無意識のはずだし、僕がこんなこといって真面目になっているのは迷惑に感じるだろう。でもファンはそこまで考え抜いて自分の中に妄想を広げるものなので許して欲しい。 そんなことを何年もたってふと思ったような次第なんです。 (2004年5月5日) |
| 第1話 不思議なこと話す人
昔からよく不思議なことを話していたと思う。自分の中で膨らむ妄想や幻想がそのまま現実ぽっく交差するのだ。例えばよくこんなことも考えていた。 |
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